2012年 05月 09日
多様な人が知り合うことで「まち」に活力が生まれる |
昭和医大付属烏山病院患者家族会 あかね会会報「あかね」56号寄稿文
ちぐさ会世話人 福永順彦
私があかね会のことを知ったのは、ちぐさ会の世話人になった平成19年でした。それまで精神障がいのことや、障がいのある人を家族や地域で支援する活動をしている方々のことはさほど意識していませんでした。
私は烏山で「まちづくり」の仕事やボランティアとして10数年かかわってきましたが、いわば門外漢の私をちぐさ会に誘っていただいた理由を、私自身はこう解釈しています。
ひとつには、精神障がいの方々を取り巻く環境や活動と「まちづくり」がかかわるきっかけを作ること、そしてもうひとつは、「まちづくり」の活動自体に、さらに多様性を入れていくことを期待されたのだと思っています。
「まちづくり」とは、ここでは、様々な特徴のある方が「まち」という場で共存し、誰もが快適に暮らすための環境づくりであると定義しておきます。
「まち」には様々な人が住んでいます。しかし、普段私たちはそのことにあまり気づいていません。「障がいがある」ということは、自分はそうではないと思っている人からすると、特別なことと思われています。
もちろんそうではありません。生まれたての赤ん坊からお年寄りまで「まち」に住む誰もが成員として、遊び、働き、何かがあれば助け合い、その人それぞれの生活をあたりまえに営む。それが「まち」の本来のあり方です。
多様性があることで「まち」に活力が生まれます。同質の人だけではだめです。そして、多様性を力に変えるには、知り合うことが基本です。知り合うというのは、あいさつからもう一歩進めて、小さなことでも何かを一緒にすることです。住んでいる人どうしがちょっとしたことでも(たとえば掃除でもお祭りでも)一緒に活動することで、気づきや新しいアイデアが生まれます。
今回「あかね」に寄稿する機会をいただき、お伝えしたかったのはこのことです。
今後ともあかね会やちぐさ会の活動を通して、ひとりでも多くの人が「まち」に関わるお手伝いができることを願っています。
ちぐさ会世話人 福永順彦
私があかね会のことを知ったのは、ちぐさ会の世話人になった平成19年でした。それまで精神障がいのことや、障がいのある人を家族や地域で支援する活動をしている方々のことはさほど意識していませんでした。
私は烏山で「まちづくり」の仕事やボランティアとして10数年かかわってきましたが、いわば門外漢の私をちぐさ会に誘っていただいた理由を、私自身はこう解釈しています。
ひとつには、精神障がいの方々を取り巻く環境や活動と「まちづくり」がかかわるきっかけを作ること、そしてもうひとつは、「まちづくり」の活動自体に、さらに多様性を入れていくことを期待されたのだと思っています。
「まちづくり」とは、ここでは、様々な特徴のある方が「まち」という場で共存し、誰もが快適に暮らすための環境づくりであると定義しておきます。
「まち」には様々な人が住んでいます。しかし、普段私たちはそのことにあまり気づいていません。「障がいがある」ということは、自分はそうではないと思っている人からすると、特別なことと思われています。
もちろんそうではありません。生まれたての赤ん坊からお年寄りまで「まち」に住む誰もが成員として、遊び、働き、何かがあれば助け合い、その人それぞれの生活をあたりまえに営む。それが「まち」の本来のあり方です。
多様性があることで「まち」に活力が生まれます。同質の人だけではだめです。そして、多様性を力に変えるには、知り合うことが基本です。知り合うというのは、あいさつからもう一歩進めて、小さなことでも何かを一緒にすることです。住んでいる人どうしがちょっとしたことでも(たとえば掃除でもお祭りでも)一緒に活動することで、気づきや新しいアイデアが生まれます。
今回「あかね」に寄稿する機会をいただき、お伝えしたかったのはこのことです。
今後ともあかね会やちぐさ会の活動を通して、ひとりでも多くの人が「まち」に関わるお手伝いができることを願っています。
by phoosuken
| 2012-05-09 10:31
| 日々雑感(F)